『色彩の秘密』ルドルフ・シュタイナー




色については永遠の課題として。

図書館で見つけた表題の本
「色」についてシュタイナーがどのように述べているのか
気になり手にとる。

これが私が初めて手にとったシュタイナー自身による本。
独特の色彩観、は読む前から想像はしていたけれど
文章の中に、私の中にはない言葉がとても多いので
(「霊的」「前世」「神(キリスト教)の〜」「エーテル体」など)
それが私の感覚のどれに近いことを指すのか
そもそもさっぱり感じられないことなのか
考えながら読むのは非常に時間がかかった上
やっぱり半分くらい理解はできなかったと思う。

色の捉え方、美醜のこと、光と重さの関係
芸術とキリスト教の関係、どれも興味はあり
おぼろげに感じることができるものも少しあったけれど。

こういう本を読む時は
具体的に「わかる」「わからない」より
読んで、自分はどう感じたか、何を考えたか
刺激に対する「自分の反応」の方にヒントがある気がする。
わからない文章も言葉を区切り、気になるところをメモしてゆく。



シュタイナーが何度も「物理学」「ニュートン」を引き合いに出し
批判していることが目についた。
そして「ゲーテ」の言っていることが正しいと。
(きっと歴史的背景があるのだろうなとは思う。)

「感覚的なこと(科学的に解明できないこと。この本でいう芸術)」と
「科学」が対立構造になってしまっているのだけど
その線はいつか交差するのではないか、ということを
考えるのが私は好きだ。

どちらも「この世界には未知なことが在り、未知なことが起こる。
その仕組みを知りたい」という目的は同じ。
どちらもワクワクする。

私は、思考としてはできるだけ「科学」的でありたい。
人間の知能で知ることができることは
世界の大きさと深さに比べてほんっの少しかもしれないけれど
未知のものを正確に論理的に客観的に確かめよう、という
「科学」の姿勢を非常に大切に思う。

一方「科学」でわかっていないことが
あまりにたくさん!あるので
「非科学的」なものがすべて嘘であるとも思わない。
そして生きていく上で大切なことが
ふんだんにそこにあることを
イマジネーションが大切なことを
すでに感じている。

だけど、また一方で
それを「在る」とどうして言いきれよう。
在るかもしれないと感じる、理由はこう、
けれど在るかどうかはやっぱりわからない。
人それぞれの感覚、
同じように感じなくても、もちろんいい。
もしよかったら、一緒に楽しめるものがあるなら
何か受けとるものがあるなら、うれしいな。
…これ以上のことがあるのかな。

…そう伝えられ、そのように扱いながら
心に届くものを表現できる人になりたい。

「科学」と「感覚」の間で。

私は本当のことを知りたい、
それに自分の感覚を大切にしたいから
見たり聞いたりしつつも
どんなことも自分なりに捉え直してゆきたい。
今日はそんなことを考えた。



ニュートンとゲーテのことももっと知りたいな、と思いはじめ
ぼんやり自分の本棚を見たら、色彩心理学の本があるじゃないか。
手にとったら表紙に「ニュートンとゲーテ」とありびっくり。

これは大学の時の教科書。
もう15年くらい開いていないけど。
再び開く時が来たみたい。
今が過去を回収してゆく。





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