雲だった時の話 -仮説A-

 



太陽が雲を照らし 地平線の向こうへ渡ってゆく
流れる草原の七色の変化をみていた
空の色の十二色の変化をみていた
何先年も何万年も…
なんて美しい色なんだろう

いつか「絵を描いてみたい」と思った
地上にいる"人"はこういうとき
「絵を描くのだ」と聞いたことがある

「ならば 君も"人"になって絵を描いてみたらいい」

そうだね でも人になったら ものとしての体を持ったら
肉体の痛みや 大地での災いや 人同士の争いを
引き受けなくてはいけないのでしょ
ここには よいものも悪いものもないけれど
地上には よいものと悪いものが 同じだけあるのでしょ
それ たぶん苦しくなってしまうな 難しいよ

「そうだね だけど人の一生なんてほんの一瞬さ
命が尽きたら またここへ戻ってくるだけだよ
何も失うものなんてないのさ
みんな 肉体の喜びを 有限の時を 人との出会いと別れを 
楽しみ味わうために ひととき人になって 地上で遊ぶんだよ」

うーん でもやっぱりこわいな 僕は臆病者なんだ
「大丈夫さ いや 大丈夫じゃなくてもいいじゃないか
どんなことでも経験してみることが大切なことさ
助けてくれそうな人がいてくれそうなところに生まれればいい
そして絵が描けそうなところにね
ここなんてどうかな」

うーんうーん 行ってみようかな どうしようかな

「はっはっは またすぐに会えるさ
では旅のお土産話を楽しみにしているね えいっ」

わー!? 行ってきますーーー


なぜ人は生まれてくるのか
生まれてきてしまったことに
小さい頃から疑問を持ち続けている私が
生まれるか否かを、生まれる前にもし選択できたと仮定して
どんな状況があったら
生まれてくるという選択肢を選ぶかもしれないか?という
仮説を立ててできた、空想。

「あなたが選んだから生まれてきた」なんて
確証もないのに、無責任に他人に言われたくないけれど
生まれてきてしまった以上は全うする、私の仕事を成す、
そのために自分自身が納得できるような面白い説はないかと
あの世とこの世についていつも考えている。
シミュレーション仮説とかも、面白くて好き。

静かな冷たい雨
夢幻を語るにはふさわしいだろう乙女座の満月によせて。

写真は一昨日の月と、ずっと前の京都大原。


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